むしろ足知
やっぱタルシルやけ!!…吾唯足知(われただたるをしる)なブログ。
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プロフィール
HN:
みやちともひろ
年齢:
23
性別:
男性
誕生日:
1983年5月
9
日
職業:
最先端農業(?)
趣味:
大相撲
自己紹介:
農学部卒業後、日本の求める農業・自分の求める農業とは何かを探索して、日本各地で農家のお手伝い。悠々自適(?)な自分計画の研修旅行!いつかあなたの街にもお邪魔するかもしれませんーっ!
月別アーカイブ
2007 年 02 月 ( 16 )
2007 年 01 月 ( 18 )
2006 年 11 月 ( 3 )
2006 年 10 月 ( 3 )
2006 年 09 月 ( 5 )
バーコード
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2006
07,25
12:34
筑波大ムダ探し
CATEGORY[未選択]
昨日は筑波大の大学院生をやりよる友人に会いに行ってきた。行ってみると、つくばは広い。筑波大に行きつくまでにも結構あるし、その筑波大もやっぱ広い。その友人は寮暮らしなんやけど、寮だけでもかなりの数があって驚く。どうもこれも筑波大のムダの一つらしいけど。国は金かけとる。
また、筑波大にはなんと銭湯がある。一回170円。安い。けど、その代わり寮には風呂がついてないから毎日金払って風呂に入ることになる。そう考えると不便ではあるけど、やっぱりでっかい風呂はよい。昨日は少ない方とは言っとったけど、それでも何人も風呂入りに来とって、筑波大生の生活を垣間見ることができたということか。
正直、昨日は筑波大の本当に端っこをかじった程度であったけど、それだけでも大学の広さは十分わかったし、友人曰わく寮から研究室までチャリで15分かかるらしいし、ムダも多いとこみたいやし、休みの日には留学生たちが芝生にシート広げて寝転がっとるそうやし、つまり筑波大は実に広大かつ寛大な大学のようだ。筑波大とつくばセンター(その名の通りつくば市の中心地)をつなぐ道には、何に使っとるのか分からん不思議なモニュメントはあるし、夜は青から緑のグラデーションでカラフルに光る歩道橋はあるし、よく見ると歩道は木の根が張って凸凹凸凹しとるし、雑草もよく茂っていたりして、つくばは他に類を見ない空間があるところだということを知ることができた。どことなく宮大のある学園都市木花台を思い出させる景色もあったけど、やっぱ住んでみたら暮らしにくいとこも居心地のいいとこもあるんやろうな。
ちなみに、茨城にはJRの手を借りて来ている。昨日はつくばへはバスで。今日は電車で水戸まで出る。電車に揺られて行くのもなかなか良い。途中、土浦の辺りで蓮畑が目立つようになった。どうも土浦はレンコンの産地のようだ。
あ、水戸に着いた。
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2006
07,25
00:11
宇都宮餃子♪
CATEGORY[未選択]
実は一昨日(22日)から茨城に来とる。茨城の牛久に。高校、大学とお世話になった〇丁先輩のところに転がりこんでいる。(さて、〇の中には漢数字が入りますが、いったいどの数字が入るでしょうか?ヒント;末広がりです。)
昨日は先輩も仕事が休みで、宇都宮に餃子を食いに連れて行ってくれた。宇都宮ではラーメン屋の代わりに餃子屋があるようなもので、至る所に餃子屋がある。これは餃子食い倒れやな。とりあえず、いろんな店の餃子が味わえるという餃子の店に行ってみた。食べ比べてみると店によって全然味が違うんでおもしろい。食い倒れるまでは行かんかったけど、うまかったなぁ。今度は本場中国のうまい水餃子を食べねば。
宇都宮からの帰り道、益子に寄る。益子は陶芸の町。益子焼といって梅干しの壺とかを主に焼いとる。そこでなんと陶芸体験をさせてもらった。手びねりで、久しぶりの粘土いじり。茶碗のようなものができた。自他ともに認める味のあるものになっていた。焼き上がりが楽しみやな。
さらに、晩飯は韓国料理屋で焼き肉、冷麺、キムチを食って、マッコリに酔いしれて、夜はぐっすり眠れましたとさ。マッコリ、マシッソヨ!
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2006
07,21
23:45
神奈川県横浜市鶴見区生麦一丁目
CATEGORY[未選択]
今日は雨の微妙な天気の中で、横浜市鶴見区の生麦に行ってみた。
車の往来の激しい国道15号線沿い、中華と焼肉の店「ニュー北京」の隣に生麦事件の碑はある。
文久二年(1862)八月二十一日午後二時頃、薩摩藩の島津久光の行列にたまたま出くわしてしまったイギリス商人の一行が斬りつけられるという事件が起きた。中学生の歴史の教科書にも載っている、あの有名な生麦事件である。一人が死亡、重傷を負った二人もそれが原因らしく数年後亡くなっている。お墓は昨日行ってきた山手の外国人墓地に。先日も書いたが、この事件を契機に薩英戦争が起こる。
石碑を見た後、生麦事件参考資料館というものがあることを知り、そこへ向かった。そこで生麦事件に関する資料とビデオを見て、その資料館を私費で立ち上げたというおじさんの熱い話を聞いた。中学生の頃はとにかく「ナマムギ」という名前のインパクトだけで覚えてしまったこの生麦事件。ここに来ると、なぜ教科書に載っているのかがよく分かる。
「生麦事件から明治維新へとつながる。」
薩英戦争が起こり、一時は応戦した薩摩藩も、さすがに何度も大砲で打ち込まれてはかなわんと、イギリスに慰謝料を支払うことになる。ただその折、どういう訳か薩摩藩はイギリスに織物の機械の輸入と、ガラス製作の方法についてもついでに依頼している。そして薩摩切り子が生まれることになるのだが、普通、事件を起こした側がその事件の調停の席でこんなことを頼めたものではない。でも、薩摩藩は堂々とやってのけている。またイギリスもイギリスで、その申し入れを快く受け入れている。資料館のおじさん曰わく、それだけ「ジャパン」が海外から認められていたということらしい。有田や伊万里の磁器、浮世絵、漆。街道の杉並木にさえ外国の商人たちは驚いたそうだ。また、寺子屋のおかげで、当時の日本人の識字率は世界一だったとも。
とにかく、おかげで薩摩藩はその後さらに発展していくことになる。同じようなのが長州藩で、長州も関門海峡を封鎖したのが原因で海外列強から洗礼を受け痛い思いをして、ただ「攘夷、攘夷」とばかり言うだけでは駄目だと海外に目を向け、薩長同盟後は一気に明治維新への流れをつくっていった。
だから生麦事件は教科書に載っている。幕末、外国人の殺傷事件は他にも起きていたそうだが、やはり生麦事件。言ったら悪い気がするけど、一人の英国人の死は無駄にはなっておらず、生麦事件がこの国の発展に果たした役割は大いにあるようだ。いまだに一人や二人の人間の誘拐で戦争になってしまう世の中やけど、果たしてこの生麦事件のように一つの発展や変化の契機となっているんやろうか?
事件にしろ戦争にしろ悲しい出来事には違いない。けど、生麦は歴史的におもしろい場所として、その地名をいまだに残している。
ところで、雨、まだまだ激しいみたいやけど、明日のオールスターは大丈夫かな、宮崎?
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2006
07,20
23:48
雨あがれっ!
CATEGORY[未選択]
全国各地で大雨の被害が出ている中、片や横浜では雨の降っていないことをいいことに、観光なんかしとる奴がおる。
今日、横浜中華街、山手の旧外国人居住区、山下公園、大桟橋と赤レンガ倉庫などを巡ってきた。
中華街は一歩入ると色鮮やかで華やかで、中華飯店や豚まん、天津甘栗を売る店が軒を連ねる。対照的に山手に登ると、落ち着いた洋風の建物が多い。中華街も山手も港横浜だからこその町並み。異文化が入り込んできたまんま。混ざり合うことなく。それぞれ自分を持ってしっかりしとるのがいいね。
大桟橋からは赤レンガ倉庫、マリンタワー、横浜ベイブリッジ、それに船がたくさん見える。この前ここらへんで、みなとみらい花火大会があったらしい。小倉では祇園太鼓、祭りも各地でやりよる頃で、もう夏真っ盛りのはずなのが、まだまだ梅雨が真っ盛り。西日本は大雨で大変なことになっとる。キャンプもあるのに…。九州が雨で流れてしまう前に早めに実家に帰るかな。
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2006
07,18
19:43
ツール・ド・東海道~終点日本橋編~
CATEGORY[未選択]
昨日は雨模様の中だったが、とうとう東海道の旅を締めくくって来た!
13:54、JR東神奈川駅を出発。
14:07、良泉寺通過。
14:16、入江橋を渡る。
14:22、遍照院通過。踏切の向こうに寺の門がある。
14:30、鶴見区生麦四丁目。幕末、当時のここ生麦村で事件が起こった。生麦事件。薩摩藩主島津久光の行列を横切ってしまったイギリス人商人たちが斬られたのだ。この事件が薩英戦争のきっかけにもなる。
14:44、JR鶴見駅着。
14:52、鶴見神社。推古天皇時代の創建とされる横浜最古の神社らしい。
15:01、鶴見川橋通過。江戸日本橋から来たときに最初に渡る橋であったそうだ。昔は鶴見橋といった。浮世絵にも描かれ、ここからの富士や海原の眺めは素晴らしかっそうだ。
15:12、市場一里塚着。江戸から五里(約20㎞)目の塚。
15:20、「箱根駅伝」鶴見中継所タスキ渡し。
15:33、京急八丁畷駅通過。
15:48、芭蕉「麦の別れ」の句碑あり。元禄七年(1694)五月、江戸深川を発ち郷里伊賀への帰途、川崎宿のはずれのこの八丁畷の茶屋で休憩した松尾芭蕉は、ここまで見送りをしてくれた門人たちとの別れを惜しんで、「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」という句を詠んだという。芭蕉はその後、この年の十月に大阪で「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」との辞世の句を残して51歳の生涯を閉じている。
16:04、京急川崎駅着。雨が強くなってきたので、ちょっと雨宿り。
16:32、JR川崎駅内。めちゃめちゃ人がおるわ。
17:04、川崎宿田中本陣跡通過。
17:23、多摩川通過。東京都大田区に入る。家康が慶長五年(1600)、六郷川(多摩川)に六郷大橋を架けたが、元禄元年(1688)七月の大洪水で流され、それから明治七年(1874)の左内橋架設まで船による六郷の渡しが続くことになった。そのため、現横浜市鶴見区の鶴見川橋が江戸日本橋から来たときの最初の橋であったようだ。
17:49、蒲田消防署前通過。
17:53、京急蒲田駅通過。国道15号線を横切る京浜急行の踏切あり。
18:21、鈴ヶ森刑場跡通過。
18:47、品川宿場通り。ちょっとした商店が立ち並ぶ。品川宿のシンボルとして、要所要所に街道松が植えられてある。
19:45、芝大神宮前通過。
19:56、銀座通過中。テレビでよく見る景色あり。雨がそれとなく雰囲気を出しとる。
20:11、着いた~。ついに日本橋に。長かったツール・ド・東海道の旅も、ひとまずこれで終了である。最初は京都から掛川へ行く「ついで」程度であった東海道の旅も、行く先々で歴史に出会い、かつての旅人の様子にも触れられ、それがおもしろく、いつの間にか東海道を巡るのがメインになっていた。様々な方にも出会い、そのほとんどの方々が人がよく、親切で、東海道沿線の至る所で、お世話になってしまった。感謝を忘れずにいたい。まったく自分という奴は幸せ者だと思うしかない。
今後は、奥の細道や四国八十八ヶ所も回ることができたらと思う。ただ、本来の目的である北海道、沖縄へは、いまだに行く気配がないので、そろそろ本気にならなければと思う。ある程度は頭の中で計画はしとるんやけど。まぁボチボチね。
20:30、東京駅内。丸の内側の駅舎はレトロな感じで、北九州の門司港駅と張っとる。断然、東京駅の方が立派やけど。今度、昼間に行ってみたい。
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